社員ブログ
小さな子供のポッケには色々な物が入っている。 大きく膨らむ程に何を入れているのだろうと思うが、たいしたものは出てこない。 拾ったであろう素敵な石とか、キラキラしたボルトとか錆びた金属製の何か、とか。 たまに、美味しかったから♪と、収穫したグミなどが入っていて驚く。 そして赤く染まったポッケを見てしばし時が止まる。 つまり洗濯する時は必ず子供のポッケをひっくり返してみないといけない。 さぁ洗濯をしようと無防備にポッケに手を入れた日に事件は起きた。 おや、今日はおもちゃが入って・・・いや、これは、も・もしかして・・・ と、手にした物を見て思わず声にならない悲鳴を上げる。 そこには彼がいつも大切そうに持っていたクワガタの頭部があった。 「ほら、クワが動くんだよ。」と、どこかで拾ったと言うクワガタの頭の部分を、それはそれは得意げになって見せてくれていた、あのクワガタである。 ・・・何故だろう、本物なのだ。 それは蜜を吸うブラシのような口器がはっきりと見て取れる程に美しいクワガタであった。 それを出来るだけ遠目に、へぇ~すごいね、こんなになっているんだね~。などと息子に調子を合わせていたあのクワガタの頭部が今、図らずも私の手の中にある。 そう言えば「すごいでしょ、これはノコギリクワガタなんだよ!」と言っていたっけ。 その、美しいノコギリクワガタのつぶらな瞳と目が合う・・・ そしてしばし私の時が止まる。 な・投げてはいけない。 虫が苦手で恐怖に襲われているからって、彼が宝物にしているクワガタの頭部である。 こ・これは彼にとってはキラキラ光る宝物だから!頭部だけだし!怖くないし!死んでるし! 必死に自分に言い聞かせる。 投げて壊したら彼が泣く・・・今は私が半泣きであるが。 全身鳥肌になり小刻みに震える手で、息子の宝物をそっとテーブルに置いた。 ・・・放り投げるのを堪えたのだ、でかした私。心でガッツポーズである。 教訓:小さな子供はポッケに宝物を忍ばせている。 私の宝物は日々家族との笑えるさもない事ばかりで、いつだっておぼつかない記憶の中にある。壊れたりはしないが、忘れて失くさないようにしたいものである。 覚えていれば、こうしてたまに思い出して鳥肌をたてて楽しめるのがいい(笑) コロナウィルスに緊張していた春先、庭に種を蒔いた。 すくすく育つ苗を横目に、学校に行けない子供たちは家ですっかり自由人となってしまった。(がーん) ゲームとネットとお昼寝天国のようではあったが、やはり制限される生活は少なからずストレスを生むものであろう。 私に出来る事はご飯を作り満たしてあげる事ぐらいか。 もやしっ子になった子供達に、庭で日差しをたっぷり浴びたバジルでご飯を作ろう。 バスタにもお肉・お魚のソースにも、パンにもピザにも美味しい自家製ジェノベーゼ。 食卓には夏、到来である。 調達課 K